上野の地は、徳川家康の命により寛永寺が創建されて以来、歴史の当事者として幾度も時代の変革の舞台となってきました。
現在の上野公園の園内には上野動物園をはじめ、国内外の文化・芸術作品や自然科学に触れられる施設が集まっており、史跡や歴史的建造物を巡りながら歴史の香りを感じられる非常に貴重な場所でもあります。
今回はそんな上野公園の激動の歴史の一端をご紹介します。
不忍池と寛永寺
上野は現在も花見の名所として知られていますが、江戸時代には江戸一番の桜の名所でした。京都の清水寺を模して建てられた清水堂の上からは、琵琶湖に見立てられる不忍池、中島弁財天、本郷台地の大名屋敷を一望することができました。鮮やかな朱色と桜の桃色が美しく映え、画面の左手には名物のぐるぐる松も描かれています。広重はこの松を拡大した別の作品も描いています。寛永寺から望む不忍池の風景は、今も昔も変わらぬ上野の魅力の一つです。

出典:文化遺産オンライン



明治維新と上野戦争
上野公園には、武士社会の終焉を象徴する存在である彰義隊の墓があります。彼らは上野公園の丘の上に建つ寛永寺を拠点に新政府軍と戦いましたが明治維新の流れには抗えず、近代兵器を持つ新政府軍に敗れて遺体は見せしめとしてさらされました。この地は、そんな江戸幕府の最後の抵抗として知られる上野戦争の舞台でもあるのです。

新政府軍で彰義隊制圧の指揮を執った西郷隆盛の像も公園内のほど近くに立っています。皮肉なことに、その西郷像は、彰義隊が命をかけて守ろうとした上野の丘の上から、西郷隆盛率いる新政府軍が戦争中に陣取っていた現在のアメヤ横丁方面を悠然と見下ろしています。西郷像をご覧になる際は彰義隊の墓にも訪れていただきたい。

その後、明治維新によって政治体制が大きく変わったことで、寺社の支配関係も変化しました。寛永寺の境内の一部は天皇の「恩賜地」として明治政府に下賜されることになります。1873年に当時の東京府がこの場所を公園に指定し、1877年には教育博物館(現在の国立科学博物館)が開設されました。
文化・芸術の拠点に。
現在のように公共施設が集まるきっかけとなったのは、明治政府が主催した第2回内国勧業博覧会(1881年)の開催でした。博覧会のメインパビリオンが、博覧会終了後に帝室博物館(現在の東京国立博物館)に転用されたことが今後との大きな発展の布石となりました。
翌年には、同博物館の付属施設として動物園(現在の東京都恩賜上野動物園)がオープンし、さらに東京美術学校(現在の東京芸術大学)、東京府美術館(現在の東京都美術館)なども相次いで設立されました。
このような一時的な博覧会を契機に常設の博物館や美術館が設立されるという現象は、19世紀後半以降、世界各地で見られました。特にアメリカでは、フィラデルフィアやシカゴ、サンフランシスコなどで同様の経緯で多くの博物館や美術館が設立されています。
ここからは上野公園の主な施設を紹介します。
国立西洋美術館
東京国立博物館

上野の森美術館

東京都美術館

国立科学博物館

上野動物園

