幸せの言葉

満腹なのに食べようとすると太ってスタイルが崩れて健康も損ねてしまう。
幸せもそれと同じで欲張り過ぎるのは健康的ではない。
腹八分目とは言わない。だけども、満腹になったら他の人に分けてあげるという感覚も大切なのだと、俺は感じている。
幸せはシェアした方が長く続く。

自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。
それは自分自身を侮辱する行為だ。

健康であることは、人間の細胞一つ一つが問題なく動いている結果。同じように、うまくいっていることには、必ず確かな理由と繋がっているはずです。しかもあれとこれと、と複数の条件が調和して「今」という状況を作り出している。
そんなふうに思いを巡らせると、今ここでうまくいっていることが、まるで奇跡のように思えてきて、本当にありがたくて幸せだなあと思うのです。

絶えず「人」をものさしにし続けることで、自分のものさしの目盛まで読めなくなってくる。

同じ星空を見上げても、体と心がクリアなら、その輝きが心に沁みます。でも、どんよりと疲れていると、何も感じることができず、美しい空を見ているのに見えていない。
それは、人と会ったり、本を読んだり、新しいものを見つけたりと、どんな場面でも同じこと。体力という土台がないと、ピピっと反応するアンテナの感度を上げることも、そこから何かを感じ取るやわらかな心も、育てることができないのです。

幸せとは条件が揃って「なる」ものではないということがわかってきました。仕事がうまくいかなくても、家でご飯を作って美味しいねと言いながらハフハフ大根の煮物を頬張れば幸せだし、両親が元気でいてくれるだけでも幸せ。幸せはあちこちに落ちているもの。

家事は自分や家族が心地よく暮らすためで、仕事は自分の力を生かして、誰かの役に立ち、対価を得るため。なのについ、私たちはなぜかイライラしながら掃除をし、どうしてこんなことしなきゃいけないんだろう?とブツブツ言いながら仕事をしています。それは、きっとどこかで備えることが目的化し、本当に大切な目的が遠く霞んで見えなくなっているからなのかも。

幸せになる方法をあれこれ探すより、幸せだと感じる心を磨いたほうがずっと近道。

今まで歩いてきた道のすぐ横に、もう一本道がある。メインストリートでなくても、細い路地裏の道を歩いても、きっと違う風景を眺めながらゴールにたどり着くことができる。そんなお楽しみを知ってから、少し生きることがラクになった気がします。

現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。
広告やセールスマンの言葉によって組み立てられてはじめて自分の欲望がはっきりするのだ。
自分が欲しいものが何であるのかを広告屋に教えてもらうというこのような事態は、19世紀の初めから思いもよらぬことであったに違いない。

私たちの「好きなこと」は生産者が生産者の都合のよいように、広告やその他手段によって作り出されているかもしれない。
もしそうでなかったら、どうして日曜日にやることを土曜日にテレビで教えてもらったりするだろうか。どうして趣味をカタログから選び出したりするだろうか。

たとえばテレビで、ある娯楽を「楽しむ」タレントの映像を流す。その翌日、視聴者に金銭と時間を使い、その娯楽を「楽しんで」もらう。
私たちはそうして自分の「好きなこと」を獲得し、お金と時間を使い、それを提供している産業が利益を得る。

「好きなこと」はもはや願いつつも叶わなかったことではない。それどころか、そんな願いがあったかどうかも疑わしい。
願いを叶える余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好きなこと」を与えてもらっているのだから。

私たちの日常的な感性は、特に注意しなければ、知らないうちに広告や商品などの誰か私ではない人々のつくったものに引っ張られるかたちではたらきます。たとえば、電車に乗ると必ずある、マンションの広告。スーパーに行くと目立つところに置かれている、新しい調味料。こうしたものを日々刷り込まれるようにして見ることで、私たちの感性はいつの間にか、なにがいいものであるかの基準を形成させられていくのです。

物事に良し悪しはない。全てはどの側面を見るかによって変化する。
ただそれが自分に合うか、合わないか、それだけの差でしかない。

私には将来の夢や目標、やりたいことがある

私は、そのために準備をしている

私は、できるだけ長生きしたい私は、人生に困難があって「きっと何とかなるだろう」という楽観的な気持ちがある

これまでの人生を振り返る時、後悔よりも感謝する気持ちの方が強い

これからの人生を豊かに生きるために、新しい経験をしたり、知らないことを学んでいる

「人間の心は庭のようなもの」とはイギリスの思想家ジェームズ・アレンの言葉。

庭は手入れを怠ると荒れてしまう。人の心もそう。

だが、地道に耕し、花の種を蒔いて大切にすれば、美しい心が育まれ、人生は豊かになる。

あぁ生まれてきて良かったなって思うことが何回あるか?

そのために人間、生きてんじゃないのか。

わが母にまさる母なし

言葉シリーズ

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