冬は必ず春となる① はじめに

人生には、温かい春のように幸せでいっぱいの時があれば、極寒の冬のように辛く苦しい試練の時がある。しかしどんなに苦しい冬の日々が続いても必ず春は訪れる。冬が秋に逆戻りすることも、冬が冬のままでいることも絶対にない。悩みや苦しみがあるからこそ、それを乗り越えることで成長でき、昨日よりも強い自分になることができるのだ。

春を迎えるためには、冬の試練を乗り越える必要があります。ただ春になることを夢見て時間が過ぎるのを待つだけでは、あなたの可能性の蕾は育ちません。自分の根や幹を試練に晒して成長させることができなかった人は、少し風が吹くだけで今の場所にとどまれずに吹き飛んでしまい、豊かな果実を実らせることができません。あえて苦難に挑み、自身を大輪へと育て上げる努力を積み重ねることでしか冬を乗り越えることはできないのです。

桜は厳しい冬の試練と幾日も戦い続け、ようやく春に可憐な花が凛と咲き誇ります。桜にとって、冬に負けることはすなわち自身の生命の問題に直結するので、まさに最大の試練といえます。試練を乗り越えた桜たちは、たとえ1つ1つの花は小さくても、それぞれが偉大な勝利者です。皆で勝利を祝い、喜びあいながら充実の春を満喫しているに違いありません。冬があるから春の喜びがあるのです。

冬にはもともと持っていた力、眠っていた可能性を目覚めさせる働きがあります。壁にぶつかった時こそ、大きな成長のチャンスです。どのように日々を戦い、どう生きていくべきかを深く考える大切な機会といえます。

今回の特集のタイトルは、鎌倉時代の仏教の僧侶、日蓮(1222年~1282年)が56歳の時、身延(現在の山梨県巨摩郡)から鎌倉に住む妙一尼(生没年不詳)という婦人に宛てた手紙(妙一尼御前御消息)の中に登場する一節です。

妙一尼の夫(印東祐昭。生没年不詳)は、あるとき日蓮の信徒であることを理由に土地や財産などを没収されるなどの弾圧に遭いました。蒙古襲来の危機が迫り、悲観した人たちが引き起こした放火や殺人などが頻発したことによって民衆が苦しんでいた最中に生活の基盤を奪われ、そして亡くなったのです。そんな状況にも関わらず、日蓮の信仰や支援を続けたといいます。夫に先立たれた妙一尼は、人心が乱れる世の中で頼れる人もなく、ひどく苦しんだに違いありません。しかし印東氏の思いを引き継ぎ、幼く病弱の子どもの看病に追われながらも、献身的な支援を続けたと伝わっています。

そんな状況の妙一尼に宛てられたこの手紙は、日蓮からの感謝の手紙にあたります。

冬は必ず春となるという言葉は、今まさに人生最大の試練に直面している妙一尼に対する激励であり、この困難からもう一度立ちあがり、いつか再び自分らしい花を咲かせていくことを日蓮は期待したのではないでしょうか。

ここまでお読みになって、世間の日蓮のイメージとかけ離れていると違和感を持たれた方もいるかもしれません。

日蓮といえば、自身の打ち立てた教義に反する他宗を非難し、その優劣をめぐって言論戦を繰り返したために他宗から反感を集めたことで知られています。そのために日蓮のみならず、信徒に対しても不当な弾圧(所領の没収や追放、罰金、牢獄への幽閉、監禁など)や事件(襲撃や処刑など)が相次いだという記録が多数残ります。

このような状況でも日蓮は、時の最高権力者にして鎌倉幕府第5代執権である北条時頼に対して、自身の宗教を信じて実践しなければ他国からの侵略と内乱によって、国家の危機を迎えると主張して「立正安国論」を提出(1260年)します。3回にわたって行われたこの国主諌暁は「蒙古襲来」と「二月騒動」によって的中することになり、日蓮を恐れた幕府によって死刑に次いで重い刑とされた流罪(島流し)を2度にわたり経験することになりました。(1261年~伊豆・1271年~佐渡)

当時は、そもそも流罪地にたどり着くことが困難であり、また運よく流罪地に辿り着いたとしても数日で力尽きる人が多かったため、実質的な死刑宣告でした。日蓮も同様に、流罪中に与えられた食糧は乏しく、雨や風、雪が吹き込むような小堂の中で極めて厳しい環境に置かれることになります。

どちらの流罪も根拠が讒言によるものだと判明したことなどを理由に、いずれも後に赦免されていますが、これらの点から学校教育などでは信徒確保のためには手段を選ばない過激な僧侶だったと紹介されることがあるのです。

この日蓮の行動力や精神はその後の日蓮宗の僧侶や信徒らにも受け継がれ、日蓮直系の6人の弟子でさえ日蓮の死後には早々に反発や分裂を起こして数多の宗派や流派を生み出すことになります。なかには僧侶ですらない信者の1人であった富木 常忍(とき じょうにん/つねのぶ。1216年〜1299年)が出家して日常を名乗り中山門流という現在まで続く派閥を作り出しているカオスぶりです。

しかし冒頭でご紹介した冬は必ず春となるという一節を読むと、やさしく温厚な人物という印象を感じます。果たして、現代の日蓮に対する評価は適切と言えるのでしょうか。

日蓮は、各地の信徒に対して数多くの手紙を書き残した人物としても知られ、700年以上の時を経た現在でも、真筆とみなすことができる著作や書簡、断片が600点を越える世界的にも珍しい人物でもあります。

日蓮は信徒に対してなにを語りかけたのでしょうか。

今回は、現代に伝わる遺文の一部を紹介しながら、日蓮の本当の人間像に迫ります。

冬は必ず春となるシリーズ

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