幸せと豊かさ

たとえばブリオーニを身に纏い、パテックフィリップを腕に乗せ、ジョンロブで颯爽と歩く。幸せだろう。

しかしそんな生活ができる人は少ない。

たとえば朝日と共に目覚めて、陽の温かさと優しさを感じながら一杯のコーヒーを淹れたとき、窓の外の四季の移ろいを発見する。幸せだろう。

しかしそんな生活ができる人は少ない。

幸せはどこか遠くにあるものではなく砂漠の砂のように無数に存在する。ただ足元の砂の一粒に目を向けることが出来なくなっているだけだ。むしろ砂に足を取られて煩わしくさえ感じてしまうこともあるだろう。

もしあなたが日々の時間がまるで新幹線の車窓から見える景色ように過ぎ去っていくと感じるならば小さな幸せを感じ取れることはないだろう。生きる速度が上がるほど砂つぶは見つけづらくなるからだ。そのような状態で幸せを追い求めたとしても、それは速度を上げながらあなたから遠ざかっていく。

本来、幸せになるために時間を使う必要はない。なぜなら自分の未来を投資して手に入るものは幸せではなく豊かさだからだ。もちろん豊かさを追い求める過程で幸せを手にすることはできる。しかしそれだけでは幸せになるためのハードルは超えるたびに高くなり、いずれ苦しくなる。次第に幸福を感じることはなくなる。

素晴らしいことに、本来の意味での幸せを噛みしめながら豊かさを追い求めていくことはいつだって可能だ。世界の広さや美しさに心を奪われながらも目の前の砂の粒を大切にすることはできる。

幸せと豊かさを勘違いしてはならない。目の前の幸せを感じ取る力を失ってはならない。

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