時代が変われば、人々が美に求めるものは変わっていきます。芸術とは、時に時代の語り手であり、時に時代への批判的な意見の表明でもあります。
思想と社会、そして人間の表現がどのように芸術に関わってきたのか。ヨーロッパにおいて美術がどのように発展してきたのかを、時代ごとの代表的な運動とともにたどってみましょう。
ルネサンス
ルネサンスとは「再生」を意味し、14-16世紀にかけてイタリアで展開した文化運動を指します。それは古代ギリシャ・ローマの文化を再興し、中世の神中心の世界観を人間中心のそれへと転換する画期的なものでした。美術では、遠近法をはじめ、三次元空間や人体の構造、そして感情を写実的に表現する技術が生まれました。


ルネサンスの揺籃の地はフィレンツェであり、ジョットやマザッチョに続き、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなどの有名な画家が活躍し、16世紀初頭のローマで最盛期を迎えました。






ヴェネツィアでは色彩豊かな独自の絵画文化が発展し、カンヴァスに油彩で描く絵画の形式が確立されました。これにより人工的な優美さを追求するマニエリスムが隆盛します。

また同時期に、北方、特にネーデルラント(現在のベルギーやオランダ)でも重要な変革が起きました。油彩技法の完成です。従来のテンペラ技法とは異なり、油彩は透明感や繊細な質感表現が可能になります。それを主導したのはヤン・ファン・エイクで、彼の伝統は後の画家たちに受け継がれます。
ネーデルラント美術は、観察に基づく精緻な写実主義を特徴とし、古代文化への憧標を背景としたものではありませんでした。故に宗教画にも日常性が取り入れられ、風景表現の重要性が増し、ヨアキム・パティニールやピーテル・ブリューゲル(父)らがその完成を導きました。これにより風景画や風俗画の発展が促されることとなります。


バロック
17世紀の美術はバロック美術として知られます。イタリア、スペイン、フランドル(ベルギー・フランス)などカトリック教圏では、躍動感や劇的効果を追求し、感情に直接訴える美術が発展しました。その背景には、前時代のマニエリスム美術からの反動と、カトリック教会が推進した対抗宗教改革の動きが挙げられます。
カトリック教会は、聖像を通じて非識字者に信仰や聖書の物語を伝える手段として、美術を積極的に活用したのです。また、絶対王政も同様に、自らの権威を高めるために美術をさかんに利用しました。そうしてこの時代の美術は視覚に訴える性質を強め、見る者の感情的な反応を引き出すために、きわめて劇的な場面や心を揺さぶる主題を頻繁に取り上げました。また、宮廷では君主の権威を象徴する、壮麗な壁画や肖像画が制作されました。


同時にバロック美術はまた、ある種の矛盾を抱えていました。祈りの心を引き起こすための演劇性の高い宗教作品の需要が高まるにつれ、日常生活や自然界に対する綿密な観察を反映した作品の需要も高まったのです。科学的発見や医学の進歩により、自然や人体に対する理解、それらの描写は大いに発展を遂げ、視覚的な真実性が、宗教画のみならず、静物画、風俗画、風景画においても特に重んじられるようになったからです。特にプロテスタントを国教とするオランダでは、貿易で富を得た新興富裕層の間で絵画ブームが巻き起こり、市民の生活と密接に結びついた美術、つまり肖像画、風景画、風俗画など写実的なジャンルが隆盛しました。




18世紀
18世紀の美術は、一般にロココ美術に代表されます。軽やかで装飾的なロココ様式は、バロック美術の重厚さへの反動としてフランスで生まれました。アントワーヌ・ヴァトーの「雅宴画(フェット・ギャラント)」がその代表例です。しかしロココ美術は広くは普及せず、他の地域ではバロック美術の影響を受けて、王権や教会を象徴する壮麗な美術が継続されました。
雅宴画のみならず、聖書や神話を題材としない、都市生活の娯楽や日常に根ざした美術がもてはやされたことは、この時代の美術の近代性を示す重要な側面です。



「グランド・ツアー(大旅行)」とよばれるの流行により、旅行者が帰国時にヴェドウータと呼ばれる都市景観画や肖像画を持ち帰ったことは、美術制作に大きな影響を与えました。ヴェネツィアやローマでは、カナレットやポンペオ・バトーニといった画家たちがそうした旅行者の需要に応えつつ、新たな時代の美術を生み出していきました。

18世紀後半には、ポンペイなどの遺跡の発掘が古代文明への関心を呼び覚まし新古典主義芸術の誕生を促しました。古代志向の潮流は享楽的なロココ美術に対する批判と結びつき、フランス革命やナポレオンの時代の美術にも反映されました。


さらに、女性芸術家が活躍を始めたのもこの時期の特徴です。フランス王立絵画彫刻アカデミーの女性会員が増加し、サロン(官展)が女性出品を認めるなど、女性芸術家に一定の門戸が開かれるようになりました。


19世紀
19世紀は、急速な社会変化や技術革新、思想の多様化を背景に、多くの美術運動が誕生した時代です。特に産業革命の進展や市民社会の成熟を見た世紀中盤からは、パリを舞台に目まぐるしい展開を見せます。
写実主義は、日常生活や労働者階級の現実をありのままに描くことを目指しました。



続いて印象派が光と色彩の変化を捉える革新的な技法で美術界に衝撃を与えました。カミーユ・ピサロ、エドガー・ドガらが、自然風景やブルジョワジーの生活、娯楽を都会的な感覚で描きました。その後、前衛の最前線はポスト印象派の画家たちによって引き継がれ、絵画の「命題」は現実の再現から個人の内面や感情の表現へと大転換を遂げます。




こうした展開と並行して、古代の理想に基づく整えられた美しさを標榜する伝統的な美術のあり方は、「アカデミスム」という形で19世紀美術の屋台骨を支えました。



フランス以外の地域においては、アカデミスムと前衛がしばしば折表して受容され、その地域に応じた形での新たな時代の美術が模索されました。スペインの画家ホアキン・ソローリャは、ベラスケスやゴヤに連なる同国の絵画伝統と、フランスの前衛の戸外制作を融合させ、同国の画壇の近代化を推進しました。


こうして概観すると、西洋美術の歴史とは常に変化と対話の連続であり、古代の理想、宗教的情熱、社会への批評、そして個の感性が複雑に交錯する場だったことが見えてきます。
歴史を知ることは、現在の価値を再定義することにもつながります。現代を生きる私たちも、これらの歴史的表現に学び、日々に活かしていくかが問われているのかもしれません。
