達成されたものごとは過去になる。それはもはや存在してはいない。到達されるべきものごとは未来の中にある。それもいまは存在してはいない。では、なにが実在しているのか。いまここにあるものだ。それ以外に何もない。現在のうちに身をおきつづけよう。そしてとにかく行動してゆこう。
発明者たちは時間を節約させてくれる。芸術家たちは時間を浪費させると同時に時間を救ってもくれる。
現在の瞬間を考えてみよう。きみは時間を扱ったこの短い文章を読んでいるところだ。きみがその前にしていたことは過去に属しており、なにものでもなく、ほとんど無に等しい。もはや無いと言ってよい。それは、現在においてだれかがそれを想起するかぎりでしか存在しない。だが、この想起は過去ではないし、過去ではあり得ない。
それは現在における過去の痕跡ないし召喚にすぎず、いずれにせよ現在の一部だ。もしきみの記憶そのものが過去のものになってしまえば、もはやそれを想起しようとすることさえなくなるだろう。それはもはや想起ではなく忘却だ。
過去がぼくたちにとって存在するのは、あくまでいまのことであり、現在においてのことだ。過去はそれが過去ではないかぎりでしか存在しない。
綿密に調べて予定を立てると、雑誌やガイドブックの情報を確認しに行くような旅になってしまう。とびっきりおしゃれじゃなくても、地元の人が集まるカフェに入って、時間を気にせず、コーヒーを飲みながらダラダラ過ごしたり、何気ない街角の風景を眺めてみたり。私がバタバタしている日々の裏側で、こんな過ごし方をしている人がいるんだなあ。と、当たり前のことに感動したりします。
18分の1秒以内で起こることは人間には感覚できない。したがって人間にとって18分の1秒とは、それ以上分割できない最小の時間の器である。
人間にとっては18分の1秒の間に起こる出来事は存在しない。
だれも映画を見ている間に真っ暗のスクリーンを目撃などしない。18分の1秒は視覚のみならず、人間のあらゆる感覚にとって最小の器であるらしい。たとえば、1秒に18回以上の空気振動は聞き分けられず単一の音として聞こえる。
人間にとっては18分の1秒が感覚の限界である。18分の1秒という瞬間、それが連なって人間にとっての時間ができている。
老いも人間の美しさの一つ
“今”を未来の手段と考えるから焦りが深刻になる。
予定を守るだけならコンピューターもできる。
予定を覆すことこそ、人間が生きている楽しさだ。学生だった頃、授業をサボって何かをするとすごく楽しいという経験はみんなあったんじゃないかと思う。ただ平日の昼間から、そのへんをプラプラ歩いたり公園に行ったりするだけでワクワクしたものだ。
私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行ない、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。
そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。
あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?
私たちは”喜び”を先送りにし過ぎている。
手遅れになるまで我慢し、ただただ節約する。
命が永遠に続くかのような気持ちで。
最優先すべきなのは「今」を大切にすることではないのか。
かけがえのない今この時に、何をすれば一番価値的か。
それを明確にして「黄金の自分史」を綴り残していただきたい。
「時間がないからできない」というものはない。誰もが、同じ二十四時間の一日を過ごす。
時間は、すべての人に平等にある。時間は、つまり「機会」であり、「チャンス」なのだ。
これを活かすことができれば、その後にやってくるさらに大きな「チャンス」が導かれる。
人間は、いつか必ず死ぬ存在だからこそ、「人間として生きて死んでいく」という貴重な体験を学ぶことができます。
自分の死を通じて、自分自身が何を学ぶのか。
自分の死を通じて、自分の家族や周囲の人々に何を学んでもらおうとするのか。
そして、自分の家族や周囲の人々の死を通じて、自分は何を学ぶべきなのか……。
人生を終える時、どのような感情で死にのぞみ、まわりの人々に対して、いかなる態度をとりながらこの世を去るのかということです。
泣きわめき、家族や医者に悪態をつきながら死んでいくのか、それとも、にっこり笑って、人々に感謝の言葉をかけながら死んでいくのか……その意味で、「自分の死に方は、自分の意志で選び取ることができる」のです。
この世に意味のないことなどない、と思うと、一日一日を本当に大切にしなくては、と思えるのです。
生きているだけで丸儲け
私は明日死ぬかもしれないからね。誰だってそうじゃないですか。極論を言うとね。
だからいつ死んでもいいと思って生きてる。
吹けば飛ぶような幻。万人に等しく明日が訪れることは決してない。
誰でも自分のからだの管理を毎日怠らないようにするべきなのです。
ある日突然、からだが言うことを聞いてくれなくなってしまう前に。
未来の自分は他人だと思おう。
何も知らない他人が見ても理解できるように情報を整理しておく。
普段からそういうふうにメモを作っておくと、自分自身の理解も深まるし、やっていることを他人に引き継ぐ能力も高まる。
私は時間という経験を通じて、自分の死と向き合っているのかもしれない。
ただ現在のみ勝てばよいというのでは意味がない。
現在も大事だが、将来はもっと大事である。
将来勝つために、今をどうするのか。
未来を見つめ、今を悔いなく生きる。
