冬は必ず春となる③ 行動

今回取り上げるのは建治3年(1277年)8月、日蓮が56歳の時、信徒の弥三郎(生没年不詳)に対して送った手紙です。当時、日蓮の信徒らは激しい迫害にさらされており、今回の宛先の弥三郎もまた、妙一尼の夫と同様に所領を失う覚悟をしなければならないほどの苦難に直面した人物の一人です。

本書は、日蓮にこの苦難にどのように立ち向かっていけばよいかとの相談に対する返事にあたります。

弥三郎殿御返事 本文

構へて構へて 所領を惜み

妻子を顧み 又人を憑みて

あやぶむ事無かれ 唯偏に思い切るべし

 

現代語訳

十分な用意と決意を持って

土地や財産を惜しんだり、妻子を顧みたり、

また人を頼みにして案じたりしてはならない。

ただひとえに思い切るべきである。

 

 

解説

経験や知識は人の歩みを妨げます。あれこれ理由をつけて、行動を起こそうとしないのはとても簡単なことです。しかし、成功への経験値は実践からしか得ることはできません。経験や知識以上に大切なことは意思や姿勢なのです。誰かに依存したり、責任を負わないというような主体性のない姿勢であってはいけないと弥三郎に教えています。

今いる場所で前を向き、挑戦の一歩を踏み出すことによることではじめて、現状を打ち破ることができます。道があるから歩くのではなく歩くから道ができるのです。最初の一歩踏み出せば、自分が見ている景色が変わりはじめます。物事の見え方が、角度が、少しずつ変化するからです。行動を起こしてはじめて、次の一歩をどこに踏み出せばよいのかが分かるようになります。その一歩を踏み出すためには、思い切って歩みを進めるほかにはないのです。

 

思い切ることの大切さを日蓮は、「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(竹の節を一つ割れば、他の節も割れていくようなものである。法蓮抄)とも表現しています。

ノコギリで竹を割ろうと思えば、ノコギリの刃が竹に食い込むまで力を込めるのですら一苦労です。たとえ順調に刃が節まで到達しても、割れるまで何度も力を込めて竹を叩き続ける必要があります。これは骨が折れる重労働です。竹を割ろうと決意してノコギリを手に持つまでに、自身の怠け癖と葛藤を乗り越えたとしても、疲れたからと途中で諦めてしまえば、竹を二つに割るという目的を達成することはできません。

しかし、たいていの場合は最初の試練を乗り越えて、勢いにのってしまえば、はじめほど苦しい作業ではなくなります。その状態まで持っていくことが、物事を成し遂げるために一番大切なことなのです。

 

人生には、誠実に生きて努力を重ねてもうまくいかず、落胆する瞬間があります。弥三郎もそうだったでしょう。しかし人生のすべての事柄は、偶然起こったものではなく、意味があると捉えることができます。苦悩の中にも深い意味を見出すことができるのです。どれだけ苦しい状況にあっても、強く前を向くことができる人が負けることはありません。

大事な人生を苦悩に溺れながら、ただむなしく遊び暮らして終えることも、偉大な仕事に打ち込み、幸福感と充実感を感じながら生きることもできます。すべて自分の行動次第であり、自分の心の持ち方次第で、人生を全く異なるものにすることができます。

どうせ暑さに汗をかくのであれば、偉大なことに汗を流そう。こう思える人は強いのです。

冬は必ず春となるシリーズ

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