あなたは自身の個性・アイデンティティについて、どのような考えをもっているだろうか。
- 私には自分らしさというものがある
- 私には他人にはない優れたところがある
- どんな場面でも自分らしさを貫くことが大切だと思う
- 世間から自分がどう思われているかが気になる
「自分探し」「自己啓発」「意識が高い」など若者について語られる言葉が数多く生み出され、今も増え続け、その世代の当事者は生活の上で意識する機会が増加している。しかし「個性」や「自分らしさ」というキーワードが高らかに叫ばれている今、この質問に対して確信をもって回答することができる人は少ないという。
ではアイデンティティという価値観は人生のどのような場面で問われ、人を試してきたのだろうか。
今回は自己認識と自己表現の変化の過程について考えたい。
消費とアイデンティティ
1950年代のアメリカで歴史上はじめて展開された消費社会が誕生した。これによって、かつての「特定の年齢集団、氏族、カーストなどの固定した集団の一員としての同調性」という伝統的な指向から、自分自身のアイデンティティを対象化して働きかけるといった方向への変化が起きた。それはアイデンティティとは人が自ら行動することによって、作り上げたり、示したり、証明したりできるものであり、またそのようにすべきものであるという感覚が(日本においては高度経済成長期において)生じたことを示している。
本書では以下の事例が挙げられている。
どういったブランドの洋服を着て、どういったレコードを聴き、どういったお店に、どういった車に乗って出かけているかで、その人物が、どういったタイプの人物かを、今の若者は判断することが出来るのです。人は、年齢に関係なく、みな、そうした他の力を借りて、自分自身を証明しているのです。
どんなに要求の多い女性でも、メルセデス・ベンツがあれば個性的な好みと欲望をきっと満足させられるにちがいありません!シートの皮の色や車体の色から、ホイール、スタンダードあるいはオプショナル仕様の数多くの便利な装置にいたるまでの付属品のすべてが彼女を満足させるでしょう。(中略)ベンツを選んだあなたの趣味のよさに奥様がうっとりするのを見て、あなたは誇らしく思うはずです。お好みによって七六色六九七種類の内装のベンツの中から、あなたのベンツをお選びください。(当時のメルセデス・ベンツの広告)
消費社会の台頭により、かつてのアイデンティティを提示し競い合った大きな舞台は存在しなくなった。地元というコミュニティであれ、趣味というコミュニティであれ、それらは市場によって細かく分割され、消費の対象になったのだ。
自分らしさにせよ、個性にせよ、ほんとうの自分にせよ、それらが一つ一つの商品において個別に、完結した形で実現されるのではなく、生活において消費される諸々の商品の連鎖が、総体としてその人の人となりを表現する。そう信じられ、感じられている。差異化した商品は単なる記号となり、差異の体系を成し、その体系が一人一人の生活に意味や物語を与えるのである。
このようにアイデンティティが選択的なものになり、加工や介入の対象へと変化したことで、それは動かしがたい一貫性と同一性を持つものとは言えなくなっていった。
学校とアイデンティティ
1980年代後半から個人の尊厳や個性の尊重、自由・自律・自己責任の論理が学校教育の場に持ち込まれた。いわゆる「ゆとり教育」として知られる一連の改革だ。
これからの子どもたちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。(1998年中央教育審議会)
個性重視の原則は、今次教育改革の主要な原則であり、教育の内容、方法、制度、政策など教育の全分野がこの原則に照らして、抜本的に見直されなければならない。(1985年臨時教育審議会)
消費社会が、商品の選択を通して個性を構成するという態度を形成したのと同じように、自分が学習する科日や内容、問題設定を自分自身で選ぶことを通して「自分探しの旅」が支援されたり「個性」の表現が奨励されたりしたのである。
労働市場への輸入
1990年代初頭の景気後退以降、若者労働市場が急激に冷え込んだ。これにより安定した雇用につくことができない若者が大量に生み出されることになる。今まで機能していた学校と労働市場の関係や仕組みが成り立たなくなったことを機に、学校教育の場に浸透する「個性」というキーワードが労働市場にも持ち込まれるようになる。
つまり従来の就職指導の機能失調を埋める形で「自分にぴったり」の仕事を見つけ出すためには、その「自分」がどんな人間であるのかをまず知らなければならないという論理・指導方針が台頭するのである。
楽ではないが止めようとは思わないし、それを奪われるのは困るというのが、その人に向いた仕事なのだと思います。そして、その人に向いた仕事、その人にぴったりの仕事というのは、誰にでもあるのです。できるだけ多くの子どもたちに、自分に向いた仕事、自分にぴったりの仕事を見つけて欲しいと考えて、この本を作りました。(作家 村上龍)
高校生や大学生と将来の話をすると、みんな「やりたいことがない」って言います。私は、やりたいことや、やりたい仕事がある人はとても幸せだと思います。けれどもやりたいものがないからといって決して不幸だということはない。むしろ、自分の本当にやりたいことって何だろうって、悩みながらもあきらめずに探し続けている人のほうが、結局、自分が本当にやりたいことに最終的には出会えたりするんです。(経済学者 玄田有史)
こうした背景から当時大きな社会問題となった「フリーター問題」が噴出することになる。自分探しの途上でフリーター・ニート生活を送ることが(当事者の間で)美化されている彼らの視野には、労働市場の縮小も、移行過程の解体も、それを補うべき雇用政策の失敗も、入っていなかった。自分のやりたいことを追求しているという自己への責任帰属論の浸透の結果、家族や社会からの批判という形で彼ら自身に逆風として襲いかかった。
現在の就活市場においても、エントリーシートの準備という名目で変わらず自己分析が行われている。仕事や職場に対してアイデンティティの充足を求めることが定着したのだ。
オタク文化の台頭
ここまで見てきたように個性という観点が多方で活用され、各人の思考や嗜好は限りなく細分化されていった。個々人の人格や特性、趣味志向性の高まりは、さらにケータイやインターネットの普及によって加速する。
志向性を強く持つ者は、相手に応じたコミュニケーション様式の切り替えに長け、異なった場面での友人関係を互いに重ならない形で切り分けて維持し、一緒にいてもその時間を全面的に共有するというわけではない(部分的にのみ共有する)。これだけを見ると彼らは非常に表層的な人間関係を持っているようにも見えるが、その一方で彼らは熱中して友人と話す傾向を示している。つまり、彼らは一方においては切り替え・切り分け・部分性という一見すると関係からの離脱にも見える方向性と、他方では熱中という関係への没入ともいえる方向性を同時に示しているのである。
共通の志向を持つ各人が小さなコミュニティを形成しはじめ、その複数のコミュニティ内の人間とのコミュニケーションにおいて自己表現の方法を使い分けるようになっていく。趣味を共有する友人との間で見せる顔は、その趣味を共有しない友人の前では決して出さず、新たにふつうの友人と付き合うための「ふつうのスタイル」を学習し自己を多元化して表現するようになったのだ。友人Aに対してどのように振る舞っているのかを、他の文脈における友人であるBには見通すことが難しい。この場合、相互行為に関わっている人々は、互いが別の文脈でどのように振る舞っているのかについて見通しを(持っているという想定を)共有できない。というように人間関係が状況志向化していった。
大人はこのような若者の振る舞い方を見て「その場しのぎの浅い人間関係」「ニセモノの仮面によって深い人間関係を享受していない」と見なすようになるが、著者はそのような大人視点に対してこのように説明する。
複数のキャラを保有することで、一方では自己の中の振れ幅を保ちながら、他方ではある種のわかりやすさを演出する。キャラはこの場合単なる仮面ではなく、相応に正直な自分の提示である(だからこそキャラを否定されると傷つく)。ある関係におけるそれなりに正直な自己をそれなりにわかりやすく表現したもの、それがキャラであるからだ。キャラは無から作り出される「偽もの」「仮面」では必ずしもない。キャラ的な振る舞い方を大人たちは不信や懸念あるいは憂慮の目で眺めるが、それは若者たちなりの誠実さであると見ることもできる。
多元性への志向はアイデンティティの喪失とみるのではなく、現実社会への積極的な適応形態であるとみるべきだと説く。新しい自己のあり方を模索するとしても、その模索の足場や可能性は現に存在しているものの中から見いだすべきだ。より生きやすい生き方、より生きやすい社会を模索していく上での足場や手がかりとして、現在地点を知るために若者自身や若者の意見は活用されていく必要があるだろう。
多様性の時代
そして現在。多様性という言葉を旗印に、アイデンティティへの際限のない承認欲求が世界中に広がっている。それは女性活躍や性自認、貧困といった問題から気候変動をはじめとした地球環境への対応まで、課題の幅と深さは捉えきれないほどに大きく膨れ上がっている。
こうした情勢をみた市場は再び、”新しいアイデンティティの時代”に対応するかのように変化を始めている….。

