「自分らしさ」はいらない

「自分らしくあろう」と振る舞ったり考えるというのは、理屈で考え動いているのであり、頭を使っているだけである。そうではなく心を働かせて考えることが重要であり、さらに頭の理論と心の気配りや柔らかさを組み合わせることが大切なのだと著者はいう。

頭を使うことに慣れている現代人だが、心を動かすことは慣れていない。なぜ頭で考えてばかりになってしまったのか。最大の原因は時間に限りがあるからではないだろうか。やることがたくさんあるのに時間がない。だから僕たちは頭で考え、いつも急いで、効率性を意識するようになった。

一方で心だけで考えてものごとに取り組むのは、限りなく贅沢な時間であり、リラックスでき、豊かな気持ちになれる。心で考えるとは、気を使うといった表面的なことではなく、呼吸のように基本的な、人としての営み。あるいは精神を強くするための習慣。自分を高めていくための指針。新しいチャレンジをするための原動力のようなもの。

心の細やかな動きや、心の呟きにもっと耳を傾ける。意識して心で考えることを本書は勧めている。

自分らしさを捨てれば、自分らしさが更新され、自分らしさが広がる。

身だしなみ、立ち居振る舞い、考え方、生き方、人とのつきあい方。いつしか似合わなくなったいつかの「自分らしさ」を捨て、今の自分がよいと言じたものを選ぶ。そうすることで、新しい自分らしさができていきます。

すてきな人が、すてきである理由。高い志をもち、それを具現化している理由。

それは、もしかしたら心をつかったからではないか?あらゆることを、「心で考えて」いるのではないか?僕の中に生まれた仮説は、いつしか大きな発見となりました。

「今」を見るとは、簡単そうで本当にむずかしいことです。

人が一日に何回呼吸して、何回開きをするかまで数えるように、しっかり集中して観察しなければ、「今」は見えてきません。人が心で何を求め、何を嬉しいと思い、何が悲しいのかを汲み取らなければ、新しいアイデアは生まれないのです。

「自分の頭」という過去でできた代物が基準では、新しさのすべてをはかることはできません。

自分の心で意思決定したアイデアやサービスを提供しなければ、本当に新たな価値観を生み出したり、人を感動させたりすることはできないのです。

一生ものの宝石ではなく、たった一枚のシャツであっても、作り手が心で考えてつくったものが、つかう人の心に働きかける。この出会いは、幸福と言っていいのではないでしょうか。

本当に、心で考えてつくったものしか、相手の心までは届かないものです。そしてこれからの世の中は、心で考えてつくったものにしか、人は時間とお金をつかわない気がしています。

あらゆるアイデアには目的があります。そして、目的の先には必ず人がいます。

このアイデアを、どんな人のために発信するのか。このプロジェクトが成功したら、誰が喜んでくれるのか。

アイデアは「誰かのため」という前提をもって、心で考え始めるといいでしょう。そのうえで僕が真っ先に意識するのは、「目的のその先にいる人に、自分がどうやってなるか?」です。

投資というのは原資がなくなると続きません。持っている資産を全部投資してしまったら、リターンがない限り、再投資はできないのです。

お金の投資であれば、成功して儲けなければ再投資はあきらめねばなりませんが、自己投資であれば、失敗すら貴重な自分だけの情報というリターンになります。それを糧に再投資すれば、成功の確率も高くなり、やがて成果として形になるでしょう。

成果が出れば自己投資とはいえ、お金や評価、世の中の信用もついてきます。しかし、それも貯め込むことなく、さらに再投資する。小さな成功は投げ出して、大きな成功にチャレンジする。僕が尊敬する成功した方々は、そんな男気と積極性をもっています。

自分の力をすべて注いで頑張ることはできても、結果をコントロールすることはできません。しかしあらかじめ、最高と最悪の結果を自分の中で想定しておけば、どんなことがあっても折れずにいられます。それにはやはり、心で考えること。頭だけで考えていたら、最高と最悪は思い描けないのですから。

学びには、積み重ねていくものと、研ぎ澄ましていくものの二種類があると思っています。頭による学びは、知識の蓄積や経験の積み重ねという足し算。そして心による学びは、センスを研ぎ澄ましていくという引き算です。

センスを磨くというと、「いいものにたくさん触れて、いろんなものを食べて、いろんなところに行って、いろんな人に会い、いろんなものを見たほうがいい」という意見もあり、それもあながち間違いではないのですが、頭による学びに近いのではないでしょうか。本当に心で学びたいなら、あえて引き算をしてみるのも一つの方法です。

言頼は目に見えないけれど、日常生活の立ち居ふるまいのはしばしに、「言頼に値する人間か」は表れます。人は人を見ているものだから、比細なことにも心をつかえていれば、肩頼感がにじみ出ます。心をつかって日常生活を送っているかどうかで、大きな差が出るということです。

特別な言動は何もないけれど、よくよく考えると、一番あたたかくて、自分を愛してくれている。心で考える人はそんな人で、あなたの側にもきっといるはずです。

強烈な印象はなく、自分の中にすっと入ってきて、いつまでも忘れられない人。そんな人を大切にしたいし、自分もそんな人になりたいと僕は願っています。

綺正とは、今あるかたちを理想のかたちにつくりかえることです。言葉を換えると、今あるかたちをいったん否定すること。つまり自分自身を矯正するとは、自分らしさを捨て去り、前向きかつ積極的な自己否定をするということです。

積極的な自己否定のやり方は、ごくごくシンプル。まずは「もっといい自分」になれるように、前向きに「今の自分らしさ」を否定する。次は「新しい自分の理想のかたち」を思い描く。そして積極的に、そこに近づく努力をするのです。

たとえば、「西に旅するか、東に旅するか」という選択に直面した時、西を選べば「西の旅」という経験をしますが、仮に東を選んだとしても、自分が消滅してしまうわけではありません。「東の旅」という経験をもつ自分になるだけです。つまり、今までの経験やスキルをいったん手放したとしても、自分の意思や志や精神は決して損なわれません。

持っているものをパッと手放してゼロになれる人は、なんでも持てる。右にも左にも偏らない。頭を使って得たこれまでの荷物を全部捨てて、心のままに新たに生きることもできる人はすてきです。

すべては接客だと考えれば、どんなに嫌な変な感じの人だと思っても、そこにも何かを見つけださなければいけないし、必ず何かが見つかるはずなのです。

たとえば人工知能やロボットなど高度なテクノロジーは、わたしたちに「人間にだけできることって何があるのか?」という本質的な問いを突きつけてきている。

テクノロジーによって雑用や面倒な作業から人間が解放されれば、それは単に労働が楽になるだけなのではない。人間にしかできないことだけを人間は求められるようになるということでもあるのだ。

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